挑戦する気持ちは、親が教え込むものではなく、子ども自身が小さな壁に出会い、それを一つずつ乗り越える中で自然に芽生えていくものだと感じます。息子が小学三年生のときに野球を始めた瞬間から、親としての私の視点も少しずつ変わっていきました。
近所の公園で初めてキャッチボールをした日のことを、今でもよく覚えています。小さな手に硬球を受け止めきれず、思わず涙をこぼした息子。その夜、「もう野球はいいかな」とつぶやいた彼に、私は何も言わず手のひらをそっとさすっただけでした。
初めてのキャッチボールでボールが大きすぎて手を痛めた日もあり、練習が嫌になりかけた時期もありました。けれど翌朝、先に玄関でグローブを持って待っていたのは息子のほうでした。「またやってみる」と照れくさそうに笑う姿に、挑戦の火が小さく灯ったのを感じました。
野球の世界では、失敗がむしろ日常です。思うように打てず、送球がそれて試合を落とすことも何度もありました。それでも、彼は毎回グラウンドに戻り、前回より少しでも上手くなろうと自分なりの練習を続けました。
私も、できるだけ結果に口を出すのではなく、頑張っている過程そのものを見届けようと意識するようになりました。
野球が育てる「挑戦する力」とは
失敗との向き合い方が変わる
野球には必ず失敗がつきまといます。バットを振っても当たらない、エラーで試合を壊してしまう、最後に負けて悔し涙を流す──息子も例外ではありませんでした。特に小学四年生のとき、試合終盤にエラーをして負けの原因になり、グラウンドの隅で人目を避けて泣いていた姿が今も忘れられません。
しかし、翌朝には自分でグローブを手に取り、黙々とキャッチボールを始めていたのです。その小さな行動が「次こそは」という気持ちの表れであり、失敗を受け止める力を少しずつ育てていたのだと思います。
チームの中で挑戦を応援し合う環境
息子が所属していた少年野球チームでは、失敗しても責めない文化が浸透していました。ミスをした子がベンチに戻ると、チームメイトが「次いけるよ!」と声をかける。このような声かけが、挑戦する勇気を支える土台になっていたのです。
親としても、叱責ではなく「挑戦したことを褒める」スタンスに切り替えることで、子どもの姿勢が前向きになりました。
わが家の実体験:小学生投手の苦悩と覚醒
最初の壁は“投げられない”という現実
小学三年のとき、息子はチーム練習中に突然コーチから「今日はピッチャーをやってみよう」と言われました。手に汗をにぎりながらマウンドに立ったものの、最初の数球は暴投。顔が真っ赤になり、やがて涙で前が見えなくなっていました。
その日、夜の食卓では「もう投げたくない」とぼそり。けれど私は「やりたくないときは、やらなくてもいい」と伝えました。緊張と恐怖で腕が震え、まともにボールが投げられませんでした。周囲の視線がプレッシャーとなり、本人も「向いていない」と涙。
親としては見守るしかなく、心が張り裂ける思いでした。不思議なことにその言葉が息子には響いたようで、次の週、自分から「もう一度だけ投げてみたい」と言い出しました。何度も失敗しながらも、投げるフォームを少しずつ変えていきました。
ある日、初めて“まっすぐストライク”が決まった瞬間、満面の笑みを見せたあの顔は、今でも心に残っています。「挑戦」には、他人に促されるより、自分の中から湧き上がるきっかけが何より大切だと、そのとき悟りました。
小さな成功が挑戦へのスイッチになる
それから数週間、キャッチボールを繰り返し、少しずつ「コントロールが安定する感覚」を掴んでいきました。ある日の試合で、初回を三者凡退で抑えると、表情がぱっと明るくなり、自信が芽生えたのが分かりました。
その日を境に、息子は「もっとやってみたい」と言うようになり、自主練習の時間も増えていきました。
「挑戦する心」を育てる親の関わり方
結果ではなく“過程”を認める
親はつい「活躍してほしい」と願ってしまいますが、挑戦の本質は結果よりも「挑んだ姿勢」にあります。私は息子に「ナイスピッチング!」と表面的に褒めるのではなく、「怖かったけどマウンドに立ったね」「三振は取れなかったけど、最後まで投げ切ったね」と、挑戦そのものを肯定する言葉を意識してかけるようになりました。
ある日、試合で打ち込まれて泣き顔でベンチに戻ってきた息子に「最後まで自分の足で投げ切ったのは偉いよ」と声をかけると、彼は驚いた表情を浮かべてから小さく頷きました。その瞬間に「子どもは結果ではなく、自分の姿勢を認めてもらうことを求めているのだ」と強く感じました。
子どもの選択を尊重し、口出しを減らす
試合中にミスをしてしまったとき、親の感情が揺れ動くのは当然です。しかし、感情的に注意すると「挑戦すること」が怖くなってしまいます。そこで筆者は、試合後に「何を感じた?」「次どうしたい?」と、子どもが自分で振り返る時間を作りました。
これによって主体性が芽生え、挑戦することが“自分の意志”へと変わっていったのです。
野球がくれた人生の“挑戦”という贈り物
競技を超えて活きる力
挑戦する心は、野球の中だけで完結するものではありません。学校生活でも、新しい友だちとの関わりや苦手科目への取り組みなど、息子は以前より積極的になりました。「失敗しても立ち上がればいい」と思えるようになったのは、まぎれもなく野球のおかげです。
親も一緒に学ぶ「挑戦」の意味
筆者もまた、息子を通して挑戦の本質を学びました。失敗を避けるよりも、向き合う力こそが成長につながる──そんなことを、まだ小さな背中が教えてくれました。親が完璧を求める必要はなく、一緒に悩み、一緒に進む姿勢こそが、子どもの挑戦心を育てる土壌になると感じています。
野球とともに育った挑戦の心
野球はただのスポーツではなく、「挑戦する心」を育む素晴らしい教育の場です。勝敗や技術向上を超えた、心の成長がそこにはあります。失敗に立ち向かい、仲間と励まし合い、自分で考えて進む力──それは将来、子どもがどんな道を歩んでも役に立つ“人生の武器”になるはずです。 親子で挑戦を分かち合いながら、野球というフィールドで学んだことは、今も筆者家族の大切な宝物です。
挑戦を乗り越えた先に見えた“自信”という果実
大舞台での投球――涙と誇りの記憶
小学六年生の夏、息子にとって最後の公式大会がやってきました。抽選で強豪チームとあたり、彼が先発を任されることに。最初の二回は見事な立ち上がりでしたが、三回に失点し、顔から力が抜けていく様子がベンチからも伝わってきました。
周囲の保護者も息をのむように見守る中、チームメイトの「大丈夫、まだいける!」という声が飛び交い、息子は必死にこらえて最後までマウンドを守りました。試合には敗れましたが、マウンドを下りるときの背筋の伸びた後ろ姿に、大きな成長を感じました。
私の目頭も熱くなり、「勝敗を超えた挑戦」という言葉の意味を実感した瞬間でした。
勝敗以上に価値ある“挑戦の記録”
結果としてチームは敗退。しかし、その経験こそが息子にとっての財産になりました。敗北を通じて得られた「やりきった」という感覚は、挑戦を乗り越えた者だけが得られるもの。親として、その瞬間を共有できたことは何よりの喜びでした。
挑戦する心は、やがて“誰かを支える力”になる
後輩たちへのアドバイスから見えた成長
夏の大会が終わったあと、近所のグラウンドで練習している下級生の姿を見かけました。緊張でうまく投げられず、肩を落としている様子。その子に息子がそっと近づき、「焦らなくていいよ。俺も昔は投げられなかった」と言葉をかけたのです。
かつて投げられずに泣いていた彼が、今では誰かを励ます立場に。あのひと言を聞いた瞬間、私は胸が熱くなりました。かつて震える手でボールを投げていた息子が、今は誰かの“背中を押す側”にいる。
挑戦を続けてきた経験は、いつの間にか他者を励ます優しさへと形を変えていたのです。挑戦の連鎖は、個人の成長を越えて、周囲に勇気を与える力へと変わるのだと実感しました。
親もまた、子どもの挑戦から学びを得る
筆者自身もまた、息子の挑戦を通じて「結果にとらわれすぎない心」を手に入れました。忙しさの中で忘れかけていた“挑む意味”を、彼の姿勢が思い出させてくれたのです。子育ては育てているつもりで、自分が育てられている場でもあります。
まとめ:これからの未来に、挑戦の心をどう活かすか
スポーツから学んだ“生きる力”
中学生になった息子は今、別のスポーツにも興味を持ち始めています。野球で培った挑戦する心は、どの競技にも、そして人生のどんな局面にも活きる力になっています。「苦手でもやってみれば何かが変わる」──その感覚は、彼の中にしっかり根を張っているようです。
挑戦する姿が誰かの希望になる
親子で野球に関わる中で、私は「挑戦する心」が単なる結果ではなく、子どもが未来を生き抜くための力そのものであると実感しました。野球という舞台が息子に自信を与え、その背中が私自身にも勇気をくれました。
子育てに悩んでいるご家庭も多いかと思いますが、大切なのは「やってみよう」と一歩を踏み出す姿を見守ることだと思います。挑戦するわが子の姿は、親にとっても宝物となり、周囲の人々にも希望を与えるものです。

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